訪問介護は面白い!一人ひとりの生き様の中に、訪問する専門職として
ことぶき介護 訪問介護員・サービス提供責任者 菅原隆司

「ことぶき介護」は原則、正規雇用職員。
私たちの事業所は、フルタイム雇用の正規職員が中心。週5日勤務、朝の8時から夕方5時まで、1日14人程度の職員が、街の利用者のお宅に訪問しています。多い職員で、午前中に5・6軒を訪問。午後は通院同行なども急に入ったりする中、臨機応変に対応しています。職員自身も家庭の事情や自身の体調の事など、働きやすさを考えた、スケジュール調整も必須です。
「家」はトイレと炊事が共用の簡易宿泊所
コロナ禍の時、私が担当していた利用者さんの家(部屋)に訪問したら、すでに亡くなってたことがありました。寿町は簡易宿泊所にお一人で住んでる方が多い街。周囲の方が気づかずに突然お亡くなりになる、という事も少なくありません。
その一方で、トイレと炊事場が共有になっていることも多く、住人の方とも顔見知りになることがあります。訪問すると同じフロアの方から「お前誰だよ」って言いながら、「〇〇さん大丈夫?」って気軽に話してくれる場面もあります。この街の人たちは、みんな挨拶をすれば返してくれ、普段から、利用者の方に「勝手にどこかに行くなよ」って声をかけてくれる、あたたかい雰囲気があります。
高齢化が進んでいて、認知症の人が外出されてそのまま帰って来れなくなったりする事もあります。簡易宿泊所の管理人さんも、利用者の方に声をかけてくださっていますが、全員を把握するのは難しいようです。
利用者の方の周囲も巻き込んで
訪問介護員として、利用者に限らず、利用者の近くにいる人にも、積極的に話しかけて顔なじみになるようにしています。それには理由があって、支援に必要な情報が、街の人たちから寄せられることがあるからです。同じ簡易宿泊所の人たちには、訪問介護員として信頼してもらえるようにコミュニケーションを重ねます。近年は、認知症の方が増えていますが、認知症があっても、自分の家(部屋)に住み続けていけるように、近隣の人に「認知症」を理解してもらう働きかけも必要となっています。
訪問介護は、面白い!一人ひとりの生き様の中に、訪問させていただくこと
私が介護の仕事を始める時、受講した「介護職員初任者研修」の現場実習では、利用者の方が同じ時間に起きるなど、一同に動くその風景を見て衝撃を受け、自分には難しいかもしれないと感じました。ところが「ことぶき介護」に就職して、訪問介護員としてこの街に出た瞬間、めちゃめちゃ面白い。利用者の方一人ひとりが生きている。本当に人間味が溢れていている。例えば、訪問したら本人がいないとか、すでに酔っぱらっているとか、ドアを開けたら急に怒鳴られるみたいな予想もつかないことが日常茶飯事で、でも「生きている」んですよね。利用者の方が。街が。「港の仕事」「みなとみらい、ベイブリッジ、ダム」の建設にかかわった元職人たちの生きざまには、若い自分には経験したことないような一人ひとりにこだわりがあり、私たちは、そのこだわりの中に、訪問させていただいているのです。
専門職としてのかかわり方を模索する
この仕事を始めたころは、利用者さんに「これは体にいいらしいですよ」「あんまり飲みすぎると、体に悪いですよ」というような態度で接していました。そしたら、「何言っているんだよ。お前、年いくつだよ。俺もう80だよ。お前が俺に話を聞くんじゃないの?」って怒られました。はっとしました。そこから、利用者の方の言ってることを理解するようにして、自分も話をする。そして相手にも話してもらうという専門職としてのかかわり方を模索するようになりました。
支援の基盤は対面によるコミュニケーションから~自称「喋るヘルパー」
現在は、利用者さんとのコミュニケーションは、誰にも負けない自負があります。自称「喋るヘルパー」です。喋ることによって、利用者さんの口の動きだったり、渇き具合だったり、会話のキャッチボールの速度とか、その日の利用者さんの表情を見て、部屋のようすを見て、ご飯いつから食べてないのとか問題の核心にふれていく。冷蔵庫を開けるのも、信頼関係がないと開けられないんですね。そんな時の利用者への声かけは、その時の体調などにあわせて行います。
中には、アルコール依存症の方もいて、「本当はお酒嫌いなんだけど飲んでしまう。助けてくれよ」と言われることもあります。そんな時はお医者さんもいる私たちのチームでかかわって、必要な時には入院をしてもらう事もあります。訪問介護員として利用者さんの通院に同行することもありますが、最近は医師から訪問介護員に意見を求められることが少なくありません。
利用者さんとの心の距離を近づける ~日ごろの支援から支え続けること
余命1か月の末期ガンの方がいました。初回の訪問ですでに動けなくなっていて、本人は辛いんですが、上手くその辛さを伝えられない。訪問介護員としてはできる限り言葉にならない訴えを汲み取る。もうオブラートに包んでいる時間はありません。そこは、声のトーンであったり、接し方、体をちょっと触れてあげたりとかということをやりながら、あらゆる方法で安心してもらう関係性を作ります。
せっかく出会ったのだから、最後どうしたいのかっていうのは聞いときたいって。もし意識がなくなったときに、自分が嫌なことされたら嫌じゃないですかって。だから失礼ですけどちょっと聞きたいですって声をかけながら、意思を確認していく。日常の支援の中で、最後どうしていきたいかについて、「俺はこうしたいよ」言ってもらえるよう、訪問介護員として関わっていきます。
人が人を支援すること~訪問介護の専門性
買い物や、おむつ替えだって、将来はロボットでもこなせるかもしれない。でも、その人の感情や感覚、性格にあわせて、調子の悪さを見て判断するのは、人間にしかできないことです。新人の職員さんには、利用者さんの顔を見て、今日なんかちょっと変だなと思ったら、何でもいいから声をかけてと伝えていましたが、ある新人の職員さんの気づきと声掛けから、診断につながり、脳幹部の梗塞の早期発見に至ったことがありました。
私たちは、介護という技術でお給料を頂いています。「プロフェッショナル」という意識です。それは10年の経験があろうが、半年の新人だろうが、同じです。利用者の方の変化を、良いことも悪いことも両方、見れる、気づける訪問介護員になれたらと思います。
職員が笑顔で支援に向かえるように
訪問の時間は、できるだけ利用者の方に笑ってもらえるように、いっぱい喋ってもらうこと、常に話しかけられやすくなるよう心掛けています。
訪問する職員さんには、プロとして、笑顔で利用者さんと触れてほしいと思っていますので、職員さんが笑顔で、訪問先のサービスを行えるよう送り出す側の職場づくりも大切だと考えています。
利用者の声なき「声」を代弁すること
ある利用者とのかかわりがあります。寿町には診療所が2つありますが、DOTS (ドッツ=直接服薬確認療法directly observed treatment short-course:医療従事者によって患者さんが薬を飲むのを目の前で確認すること)により、毎日お薬を病院に飲みに行く高齢者の方がいます。「何か身体がおかしいかも」と思っても、中々その事を目の前にいる医師に言えない方がいました。訪問介護員は訪問時に、「何かおかしい」という言葉にならないメッセージを把握し、スムーズな治療につながった事がありました。
例えば、簡易宿泊所の掃除の人が、「利用者の方がずっとトイレにこもっていて、掃除出来なくて困っている」と言えば、観察した上で「尿の出が悪いらしくて、残尿感があってとか」という情報を、必要に応じ訪問介護が医師に代弁していきます。
新たな介護人材が寿の街から生まれる
今、寿の街では、生活保護受給者の方を対象に、「生活援助従事者研修」を寿町の交流センターで開催しています。私も介護技術の科目講師を担当しています。研修では、言葉にならない利用者の気持ちをくみとって、心を通いあわせていくことで、より良い介護につなげていること。何よりも訪問介護員として、この街の人たちから、自分が必要とされていることが、この仕事を続けるモチベーションであるし、介護福祉の仕事のやりがいとなっている事を伝えています。
ある受講者の一人は、介護の仕事に興味もってくれて、引き続き介護職員初任者研修も受講して、今「ことぶき介護」の職員になってくれています。
さらにうれしいことは、研修の受講者がその後も街中で話しかけてくれたり、訪問介護の支援に入っている利用者の事を気にかけてくれたりとか、研修での出会いをきっかけに、介護に関するコミュニケーションのつながりが地域の中で生まれている事です。
事業所を超えて地域全体で、真のプロフェッショナルな訪問介護をめざして
利用者さんや地域の人たちとコミュニケーションを重ねて、より良い暮らしに向けて、自ら考えて行動できる訪問介護員さんが増えていってほしいなと思います。
こうした事が、「ことぶき介護」だけではなくて地域に広がって「寿町のプロの訪問介護員さん」として、寿町の訪問介護員さんってやっぱりすごいよねって言われるようになれたらいいと思います。これは、寿町の街があるから、この事業所があるということ、地域の人、地域の事業所が良くなれば私たちも共に専門性が高まっていくと考えています。
